素晴らしきかな、横浜港の歴史

開港100周年記念

さらに深まることになる記念式典

1959年、横浜港が開港してから100年という節目の年を向かえることになる。この年にも横浜開港を記念して催しが開かれることになり、記念式典が5月10日に横浜スタジアムの前身でもある平和球状で執り行われる。式典の後には昭和の大スターとしても名高い美空ひばりなどが出演した歌謡祭や、井伊直弼や岩瀬忠震など開港のために尽力した人を顕彰する『開港功労者顕彰』が開かれ、計31名が顕彰されることになり、これを記念して西区の掃部山には井伊直弼の銅像が建てられることになる。

さらにマリンタワーの計画案も提出されたり、、横浜文化体育館や市民病院、市庁舎といった建物の他に、乗員約25,000人を乗せることが出来る『氷川丸』が横浜港の山下公園に係留されることが決まるなど、50年前よりも広く祭事が執り行われていた。

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盛り上がりを見せる記念行事

開港100周年イベントということで、当時の横浜はその記念祭で町一色が盛り上がりを見せていた。一番のピークを迎えることになったのは、5月10日の記念式典で、皇太子様を迎えての式典で市民約35,000人が会場に押し寄せた。次の火の仮装行列にも、70万もの人がイベントを一目見ようと押し寄せ、17日に開催された花火大会でも実に30万人近くの人が集うなど、祭りは終始盛り上がり続ける。

開港記念が開催される数年前から、横浜開港を祝う動きがあったことをご存知でしょうか?まずは55年に戦前からの彼岸だった国鉄根岸線・桜木町以南の延伸工事が遂に着工されることとなり、根岸湾の臨海部の埋立地が始まり、本格的な工業化が始動し始めた。貿易振興を図るべく、山下埠頭、出田町埠頭など港湾施設の拡充も動き出す。

さらに57年には、計画人口250万人の『横浜国際港都建設総合基幹計画』が発表され、開港100年記念祭には、戦災復興を成し遂げて次なる飛躍へと進めるために、エネルギーに溢れた横浜を内外にアピールする契機としていた。

そして極めつけは横浜が国際社会にもい歩前進するための試みを行なわれており、開港100年記念式典前日の58年5月9日にアメリカのサンディエゴ市と姉妹都市締結し、友好の鐘を送った。5ヵ月後のどう10月には、開港100年記念の一環として、アジア・中近東諸国19カ国が参加した国際貿易会議が開かれ、貿易拡大や経済協力、友好親善にす地て活発な討議が行なわれていた。

さらに派遣や地元財界の協力で、大桟橋に面する英一番館跡地にシルクセンターが建設されて、国際貿易港・横浜の象徴として59年3月に開業した。これに合わせて、国際貿易会議欧米の部が開かれており、23カ国101人が参加した。この時、横浜開港100年記念事業が、横浜市が世界的な国際貿易都市として歩みだすきっかけともなったのであった。

横浜マリンタワー

開港100周年を記念する行事の流れから、横浜に新しいモニュメントを建設計画案が出されたことにより1961年に建設された塔となっている。日本の高い塔といえば、ほとんどが四角型で建設されているのに対して、設計デザインの段階で20種類以上の案が出されているなど、海上からでも陸上からでも、どの角度から見ても同じ姿に見えるというメリットを生かして、10角型のスタイルが選ばれたといわれている。

高さは106mで総重量12,000トンで、灯台を意識したデザインとなっており、実際に頭頂部には灯台としての機能も併せ持っている。ギネスブックにおいても世界で3番目に高い灯台として記録されているが、実際に近隣を航行する船舶に対しては灯台として重要度はそれほど高くなく、そんな影響もあって灯台の機能は2008年7月28日をもって休止され、同年9月1日には廃止されることとなる。

創業時こそ年間105万人という多くの観光客を集めるとして鳴り物入りで開業していたが、徐々に集客力が減少したこともあり、2005年には年間27万人にまで減ってしまうのだった。そのために2006年から運営を引き継いでいた『氷川丸マリンタワー株式会社』は、入場者現に伴う経営悪化を理由に、隣接する氷川丸とマリンタワーの営業を12月25日終了し、マリンタワーは横浜市に委ねる事となった。

いったんは営業を終了したが、その後『マリンタワー再生事業』に基づいて、横浜市が回収して、公募された事業者が借り上げる形で外観をリニューアルや屋内の改装などが行なわれ、開港150周年記念式典にてリニューアルオープンを果たすこととなり、外観も紅白からシルバーとブラウンオリーブヘと変わった。

施設案内

展望フロア
2層の展望フロアからは横浜港を一望でき、みなとみらい21地区や横浜ベイブリッジのほか、本牧埠頭などの工場夜景も楽しめる。
THE BUND
気軽で使い勝手のよいカジュアルなカフェ&イタリアンレストラン。BUNDはバンドホテルと同じく岸壁や海岸通りという意味。
mizumachi bar
水町通り側に位置する、落ち着いた雰囲気のトラディショナル・バー。
マリンタワーショップ
ヨコハマ・グッズ横濱001や、ブルーダルグッズ、マリンタワーオリジナルグッズを販売するショップ。
THE TOWER RESTAURANT YOKOHAMA
地産の食材を取り入れ、厳選された素材を活かした洋食を提供するコンチネンタルレストラン。

営業を終了した建物や施設

  • 横浜海洋科学博物館
  • 世界鳥類園バードピア
  • Belle Vue
  • マリンハウス
  • 機械仕掛けのおもちゃ館
たねまる かわいいよ たねまる!

灯台として

  • 1961年1月14日 - 横浜展望塔燈台として新設。塗色・構造は紅白横線塗・十角やぐら形鉄造、光度は紅光40万カンデラ、緑光25万カンデラ、光達距離は25.5海里、管理者は横浜展望塔株式会社[9]。設置者は東海汽船。
  • 1970年11月17日 - 管理者が氷川丸マリンタワー株式会社となる。
  • 1989年3月13日 - 灯台名を横浜マリンタワー灯台へ変更、塗色・構造を上部赤下部白塗・やぐら形へ変更する。
  • 2002年4月1日 - 光度を赤光30万カンデラ、緑光18万カンデラ、光達距離を赤光22海里、緑光21海里へ変更する。
  • 2007年2月1日 - 管理者が横浜市となる。
  • 2008年7月28日 - 灯台業務を休止する。
  • 2008年9月1日 - 灯台を廃止する。

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